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ウクレレの歴史と語源。そして「今なぜ流行っているのか?」

2024年9月17日

ウクレレの歴史は1879年に始まりました。この年、ポルトガル領マデイラ島からの移民船がハワイに到着します。移民たちが持ち込んだのは「マシェティ」(machete)と呼ばれる小型の四弦ギターでした(ブラギーニャという呼び名が使われ始めたのは20世紀に入ってからで、ハワイでの記録上の初出は1917年です)。このマシェティがハワイの人々の心をとらえ、ほどなくウクレレへと進化していきました。

その後、ハワイ王朝が保護・奨励したこともあり、ウクレレはハワイアンミュージックに欠かせない楽器になっていきます。

しかしなぜ、ひとつの民族楽器にすぎなかったウクレレが世界で愛されるようになったのでしょうか? この記事では現在のウクレレブームについても検証します。

19世紀末ポルトガルから伝わった楽器がウクレレに変化

ハワイのプランテーションで働く農民が楽器を持ち込んだ

1879年8月23日、420名を超えるポルトガル人(マデイラ島出身者)を乗せた移民船(Ravenscrag号)がオアフ島に到着しました(King and Tranquada, 2003)。カイマナ佐藤氏の著書では「419名」という具体的な人数が挙げられていますが、これはおそらく乗客名簿を数えた数字でしょう。移民書類に記録された頭数(家長・単身者)だけで124名にのぼるため、家族を含めた乗客全体では420名を超えていたとみられます。人数については資料によって多少のばらつきがあるようです。

いずれにせよ、ラヴェンズクラグ号には、ウクレレの誕生に関わる木工職人たちが乗っていました。

到着を祝う演奏で最初に人前でマシェティを弾いたのは、ジョアン・フェルナンデスという船客だったと伝わっています。同じ船に乗っていたジョアン・ゴメス・ダ・シルバから楽器を借り、心ゆくまで弾いたそうです(ダ・シルバ本人は人前で弾くのが苦手だったといわれています)。船の到着から2週間もしないうちに、地元紙『ハワイアン・ガゼット』が「ポルトガルからの移民による楽団が、夜な夜な路上コンサートを開いている。ギターとバンジョーの中間のような、変わった楽器を巧みに演奏する」という趣旨の記事を掲載しており、ハワイの人々が新しい楽器に強く興味を持ったことがうかがえます。

さて、このポルトガル船には3人の木工職人が乗り合わせていました。

3人の名前は、アウグスト・ディアス(1842〜1915)、マヌエル・ヌネス(1843〜1922)、ジョゼ・ド・エスピリト・サント(1850〜1905)。いずれもマデイラ島フンシャルの出身で、移民書類上の職業は「マルセネイロ(marceneiro=家具職人)」でした。意外にも、弦楽器職人(ヴィオレイロ)ではなかったのです。

とはいえ、ちゃんと演奏できる楽器を作るには、専門的な技術が必要です。おそらく家具作りの傍らで、楽器製作にも手を伸ばしていったのでしょう。1885年には、ヌネスとディアスがホノルルのポルトガル語新聞『オ・ルーゾ・ハワイアーノ』に「ギターとマシェティの製造者」として広告を出しています。

移民船の到着からわずか6年で、すでに業として楽器を製造・販売していたことがわかります。ディアスは1884年のホノルル市の名簿にも「ギター・家具職人」として登場し、記録に残る最初のハワイの弦楽器職人となりました。

ディアスはキング・ストリート11番地に工房を構えていました。残りの2人、サントとヌネスもそれぞれウクレレを製造していました。

なお、ヌネスの弟子から後年独立するのがサミュエル・カマカです。1910年頃からヌネスのもとで修業し、1916年に自宅の地下室で独立開業しました。週に12本ほどを手作りし、1本5ドルで売っていたそうです。これが、現在も続くカマカ社の始まりです。

移民たちの母語であるポルトガル語や、当時の英字紙にも、この楽器がポルトガルから来たものだという記録ははっきり残っています。1886年にホノルルの新聞編集者オーガスタス・マルケスが書いた音楽についての記事では、当時「タロパッチ・フィドル」と呼ばれていたこの楽器を「奇妙な小さいポルトガルの楽器」と紹介していますし、1907年に旅行記を書いたチャーミアン・ロンドン(作家ジャック・ロンドンの妻)も、ウクレレは「もとはポルトガルから来た楽器だが、今ではその出自を思い出す人はほとんどいない」という趣旨のことを記しています。ハワイの楽器というイメージが定着していく一方で、その起源は当時からずっと記録され続けていました。

その後、ハワイ王朝、なかでもカラカウア王がウクレレを愛好したことが、この楽器のハワイ定着を後押ししました。スティーブンソン(『宝島』の作者)の継娘イソベル・ストロングは、王宮のビリヤードルームでカラカウア王自身がウクレレやギターを手に取り、お気に入りの曲を歌う様子を書き残しています。1889年にはロバート・ルイス・スティーブンソンと王が並ぶ写真も残っていて、背後に控える「王の歌う少年たち」のひとりがウクレレを構えています。

ただし、この時期のウクレレの歴史については、間違った口伝も残っています。1886年のカラカウア王50歳の誕生日祝賀会でフラの伴奏にウクレレが使われた、という説がありますが、当日の様子を記録した目撃談には「カラバッシュ・ドラム(ひょうたん太鼓)」と「ウリウリ(小石を入れた鳴り物)」しか登場せず、ウクレレへの言及はありませんでした。王室とウクレレの結びつきは確かにありましたが、細部については資料ごとに食い違いがあり、ウクレレの歴史は完全には明らかになっていません。

ハワイ産のウクレレは木材にコアを使用し、ハワイアンミュージックにふさわしい明るいサウンドが特徴です。本格的なウクレレは今でも「ハワイアンコアで作る」と考えられていますが、それはウクレレのルーツがハワイアンコアで作られた楽器だったからです。

1880年前後、マウイ島マカワオにロリン・アンドリューズの製材所ができたことも、この流れを後押ししました。この頃、輸入のスプルースより安く、あるいは同程度のコストでコア材が手に入るようになっていました。政治的にハワイ王国の独立が揺らいでいた時期でもあり、コア材のウクレレを選ぶことは、ハワイへの愛着を示す意味合いも持っていたのではないか、と論文の著者たちは指摘しています。

ハワイアンの大御所バッキー白片氏の著書には「スペインからの移民がウクレレを伝えた」という記述があります。ポルトガル移民が伝えたというのが定説ですが、若干の異説もあるようです。

ウクレレという名前の意味は?

ウクレレの語源としては、ハワイ語のウク(ノミ)とレレ(跳ねる)から来ているという説が有力です。1910年に出版された最初期の教則本で、著者のアーネスト・カアイは「ハワイの人たちは全部の弦を一気に鳴らし、指を左右に跳ねさせながら弾く。だからウクレレ(跳ねるノミ)という名前になった」という趣旨の説明を残しています。

ただ、少し意外な事実もあります。「ウクレレ」ということば自体は、この楽器がハワイに伝わるよりずっと前から存在していました。1865年に出版されたローリン・サーストンのハワイ語辞典には、単に「ノミ」を意味する語として載っていますし、宣教師ハイラム・ビンガムが1823年に書いた旅行記にも、ノミに悩まされた一夜の宿として「ウクレレ」の語が登場します。つまり「ウクレレ」はもともと、ヨーロッパ経由でハワイに持ち込まれたノミ(ネコノミ)を指すことばで、その後、楽器の名前として転用された、という順番だったようです。

ウクレレという名前の由来としてもうひとつよく語られるのが、カラカウア王の副侍従だったエドワード・パービスのあだ名から来たという説です。しかし年代を照らし合わせると、この説には無理があるようです。ヌネスやディアスが「マシェティ」の広告を出していたのは、パービスが侍従を辞任する12ヶ月前のこと。そして「ウクレレ」という語が初めて印刷物に登場するのは1891年、パービスがコロラドで亡くなってから3年も後のことです。

結局のところ、名前の由来を100パーセント特定できる決定的な証拠は見つかっていません。ただ、「跳ねるノミ」説がもっとも古くから伝わり、今でも広く語られているのは確かです。

名前の正確な由来は今もはっきりしませんが、跳ねるノミにたとえてしまう当時のハワイの人たちのセンスに、筆者はちょっとしたユーモアを感じます。由来にこだわりすぎるより、そのセンスを楽しむほうがウクレレらしくていいと思うのです。

Martin社が作ったもう1つのウクレレの歴史

1907年、アメリカ本土で最も有名なギターメーカーのひとつMartin社がウクレレ製造に乗り出しました。最初はギターと同じスプルースを使っていましたが、この木材はあまり評判がよくありませんでした。それだけでなく、そもそもこの年はまだ、ウクレレという楽器自体に大きな需要がありませんでした。

そこで試行錯誤の後、マホガニーでウクレレを製造することになります。

転機は1915年の万博

本格的にマーチンのウクレレが売れ始めたのは、マホガニーへの切り替えだけが理由ではありませんでした。1915年、サンフランシスコで開かれたパナマ太平洋万国博覧会が転機になったといわれています。会場のハワイ館では、ジョージ・アワイ率いるロイヤル・ハワイアン・カルテットが演奏し、記録的な来場者数(1,700万人ともいわれます)の中でウクレレとフラの組合せが強い印象を残しました。ハワイでのウクレレ生産量は、万博開幕直前の1915年8月には月500〜600本程度でしたが、1年後には月1,600本まで伸びています。マホガニーの素朴なサウンドは、この波に乗って一気にユーザーに支持されていきました。

一時はマーチン社のギターとウクレレの売上げが、ほぼ同じくらいという時期もあったほどです。

アメリカでのハワイアンブームは1930年代がピークだったといわれていますが、マーチン社のウクレレの売上げもそのブームとほぼ歩調をあわせて推移していきました。

やがてブームが過ぎ去り、第二次世界大戦を挟んでウクレレの人気は衰退していきますが、2000年代に入り大復活を遂げます。そして現在、マーチン社は最も長い歴史をもつウクレレメーカーのひとつとして知られるようになりました。

ところで、マーチン社のウクレレには今でもマホガニーが多用されています。比較的安く品質もいいマホガニーは、ウクレレ用の木材としてメジャーな存在となりましたが、その裏にはマーチン社の試行錯誤があったのです。

なお、ウクレレの木材については以下の記事で詳しく解説しています。

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短かったハワイアンブームとウクレレの流行

1964年にビートルズが来日(public domain)

1945年、日本はポツダム宣言を受諾。敗戦からしばらく後の1950年代に空前のハワイアンブームが巻き起こります。日本にも複数のウクレレメーカーが誕生し、たくさんのウクレレが販売されるようになりました。

この時代にはバッキー白片などハワイアンの大御所が活躍しましたが、ブームはそれほど長く続きませんでした。

ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」や「プリーズ・プリーズ・ミー」を発表したのが1962年。60年代はロックンロールの時代となりました。ハワイアンミュージックは「古くさいおじさんの音楽」という烙印を押され、ほとんど聴かれることがなくなっていきます。

ウクレレも売れなくなってしまいました。

しかし、ウクレレがまったく売れない逆境の中でも、唯一ウクレレを作り続けたメーカーがありました。Famousブランドで知られるキワヤ商会です。FamousのFS-1Gは今でも「初心者が最初に買うならこれ」といわれる、人気のモデルです。

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また、ビートルズのジョージ・ハリスンはウクレレ好きで知られています。ジョージはポール・マッカートニーにもウクレレをすすめ、ポールもたまにウクレレを弾くようになりました。

現在、ジョージの息子のダーニ・ハリスンがウクレレを弾きこなすミュージシャンとして知られています。Fenderではダーニ・ハリスンのシグネチャーモデルも販売しています。

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なお、ウクレレ初心者が最初に買う楽器については以下の記事が参考になります。

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2000年代以降ウクレレは音楽シーンに定着

ウクレレが世界の音楽シーンに定着していく流れは2つありました。ひとつめは、ジェイク・シマブクロに代表されるソロやバンドでのウクレレ演奏。上の動画はジェイクの代表曲「While My Guitar Gently Weeps」ですが、いつ聴いてもかっこいいですね。ジェイクがウクレレのイメージアップに貢献したことは間違いありません。

そんなジェイクが日本のソニーミュージックと契約してデビューを果たしたのが2002年。この頃からウクレレの存在感が大きくなっていきます。

もう1つの流れは、ボーカルの伴奏にウクレレを使うアーティストが増えたこと。ハワイアンミュージックのウクレレにおける役割を、ポピュラー音楽にもってきたイメージです。

日本ではつじあやのさんなどが代表例。アメリカではグレース・ヴァンダーウォールやジェイソン・ムラーズ、マンディ・ハーヴェイなどが有名です。

現在のウクレレブームは1950年代のハワイアンブーム時とは違い、1つのジャンルに留まらない広がりをもっています。ウクレレは楽器として完全に定着したといえるでしょう。

たとえばルネ・ドミニクは、1960年代の楽曲をギターかウクレレ1本で伴奏しながら弾き語りしています。独特の雰囲気があるカバーはオールディーズ+ウクレレという組合せなのに、今の時代の雰囲気を映し出しています。

上の動画はフランキー・ヴァリが1967年に発表した「Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)」のカバー。あの藤井風が「ASMRのようだ」と評したルネの歌声と、シンプルなウクレレの伴奏が染みるような一曲です。

コロナ禍にあって、ルネはたくさんの楽曲をYouTubeで発表し、祖国フィリピンについてもコメントしました。

独特のウクレレサウンドは今後も定着

筆者は、ウクレレがこのように受け入れられた背景には、その独特のサウンドがあると考えています。

ウクレレはギターの親戚のような楽器でありながら、サスティーンが短くギターとはまったく違うサウンドです。つまり、ギターと共存できる楽器だったというのが大きいといえます。

ウクレレはギターに比べてボーカルをじゃませず引き立てる傾向があり、適材適所でギターと持ち替えるミュージシャンもいます。

これからもウクレレは音楽表現とともにあり、より幅広く演奏されていくでしょう。

ウクレレをはじめるなら今です。

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参考文献

白石信(2000)『ハワイアン名曲全集』ドレミ楽譜出版社
バッキー白片(1991)『ウクレレ教本』株式会社エー・ティー・エヌ
カイマナ佐藤(2008)『大人のウクレレ初歩の初歩入門』ドレミ楽譜出版社
John King and Jim Tranquada(2003)"A New History of the Origins and Development of the 'Ukulele, 1838–1915" The Hawaiian Journal of History, vol. 37

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